大無量寿経


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和顔愛語 先意承問
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仏教の経典より。
私(ブログ担当:寺西)がこの言葉に出会ったのは、当時ダイキン工業の副会長だった井上義國氏による、日本経済新聞の「明日への言葉」(でしたかね?)の中で。
そのあと、故橋本首相の夫人も「和顔愛語」を座右の銘としている、といったインタビューなども、TVで拝見したこともあります。


この言葉は、毎日アタマの片隅に置き、そして1年に1回、年末に思い返している言葉です。
自分自身、今年はこの考え方ができていたか、とか、
今年は相手のことを自然に慮って、笑顔が出ていたか、とか…。


文字通り訳せば、「にこやかな顔、優しい言葉で、相手の気持ちを察し、先んじてその人の期待に応えましょう」というもの。人間は一人だけで生きているわけではなく、多くの人たちのお世話になって生きているわけで、そう考えると、どんな人に対しても笑顔で接したくなるでしょう、という、人間としての悟りの境地を簡単に述べた言葉です。


「和顔愛語」の部分だけですと、そこまで感銘を受けなかったと思いますが、「先意承問」の部分が加わって、言葉に深みが出ているように感じました。


他の人から頼まれたことを「やってあげたい」気持ちをもったり、実際にやってあげたりすることは、人間として当然のことだと思います。
もっと言いますと、それを前提とする「人間」というイキモノだからこそ、すばらしいんではないかな…、と、人間というイキモノのレベルをすごく高い所に置いておきたい気持ちの裏返しでもあります(言いたいことが伝わりますかね?)。


でも、ここで「やってあげる」という所で止まってしまう人が多いんです。
つまり、やってあげたことにより「ありがとう」と言われたい…そういう気持ちでストップしちゃう人。
それはそれで決して悪くない気持ちなんですけど、過剰に「いいことをした」と思っていると、人の成長って止まっちゃう部分もあるんですよね。


ずっと自分自身が成長していきたいんであれば、この「先意承問」〜相手の気持ちを察し、先んじてその人の期待に応える〜の部分を常に目標にしてほしいんです。
「言われたからやってあげる」のではなく「言わなくてもいつのまにかやってくれている」。
そういう人間になることが大事なんじゃないでしょうか。
そのためには、「やってあげたい」という気持ちだけではなく、期待に応えることができるような知識・教養…なんかを、自分自身に求めざるを得ませんし。