ビクトール・フランクル


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自由は全体の一部でしかなく、真実の半分でしかない。
だからこそわたしは、東海岸自由の女神像に対して、
西海岸に責任の女神像を建てるべきだと主張している。

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ビクトール・フランクル(ビクトール・E・フランクル)はオーストリア精神科医。『夜と霧』の中で、アウシュビッツ収容所での経験を綴っている。


物事には、良い点・悪い点、必ずあります。
その両面を見据えなければいけません。
たとえば、文化祭などで、いろいろな企画を立てることがあるかと思いますが、

  • こういうところは問題かもしれないけど、その問題をはるかに越える良いところがあるので、この企画を進めなければ!
  • 確かにその企画は新しく、いいところもすごくある。けれども、こういう問題点があり、その問題の大きさの方が大きくないだろうか。

そのように「両面を考慮していますよ(けど私はこう思う)」という主張をしなければ、説得力がありませんよね。


新しいもの好きの人は、問題点を見ることを忘れがちになってしまいます。
また、保守的な人の人は、問題点だけをやたら主張することがあります。


新しいもの好きの人は、自分で打ちたてる「新しいこと」に称賛を求めすぎる傾向があります。
保守的な人は、新しいことをやることにより責任を自分で恐れるが余り、事勿れ主義になる傾向があります。


私(ブログ担当:寺西)は、その人のタイプを見極め、新しい物好きの人がメリットばかり強調しても信用しませんし、保守的な人が問題点ばかりを主張すれば「じゃあ、代替案(他にメリットが大きな案)考えられますか?」と逆に問いただすようにしています。
性格は人それぞれなので、どちらがいい、というのは一概に言えませんが、「自分がどちらのタイプに近いか」を見極めながら、自分に欠けているところを補うような提案をしたいものですね。


今日の一言で取り上げた「自由と責任」
良く言われる二面性です。


自由を主張するのであれば、人間としての、社会に生きる上での「責任」。
必ず肌で捉えていたいものです。
その雰囲気が感じられない人の「自由の主張」は、何ら説得力がありませんしね。