無目的英語


とある企画会議で、「無目的英語やりたい派」の存在の有無で意見が割れたことがあります。


「無目的英語」っていうのは、はっきりした目的のない英語。
つまり、「試験に合格するため」とか「仕事で英語を話す必要がある」とかそういう目的がなく、実用と離れたところで身につけたい英語のことです。


以下、「無目的英語やりたい派」は少数であろうと思う人たちの意見。

  • たいていの人は英語がわからなくても日常的に困らない。
  • 海外旅行や洋画が好きな人は多くても、翻訳機はこれからもっと発達するだろうし、映画は字幕で内容がわかる。
  • 大事なのは言語によって伝わる内容であって、言語そのものではない。
  • たいていの人は目的があるからこそ、根気の要るトレーニングもできるものなのであって、それなしに英語学習など続かない。


う〜む、なるほど。でも、なんかひっかかりますねぇ・・・。


「無目的英語やりたい派」の存在を支持している人たちからは、上記を否定できるほどの強い意見はなく、はっきりした結論のでないまま会議は終わりました。



ところで。


私事ですが、最近、仕事上、英語のネイティブスピーカーと打合せで同席する機会が増えました。
語学をテーマにこのブログに書き込んだりしてますが、ワタシ自身は英語が堪能なわけではありません。
ネイティブスピーカーと打合せでは、英語が堪能な日本人スタッフが必ずいて、通訳もしてもらえるので、なんにも困ることはありません。


が、しかし。


打合せを重ねるにつれ、ネイティブスピーカーの話す内容が直にわかる部分が出てくると、それがキモチよく感じられるようになってくるんですねぇ。


「直接」ってキモチいい。


この一件で、かつての会議の「無目的英語やりたい派」の存在を支持する人たちの“感覚”がちょっとだけわかった気もするのです。


「意見」とか「理由」とかじゃなく、「感覚」が。


ちなみに、この感覚の強い人って、女性の方が多いような気がします。
確たるデータはございませんが・・・。


なんとなくわかる気、しません?


(よねも)