ラストレコーディング


先週の今日(7月16日)は指揮者ヘルベルト・フォン・カラヤンの命日でした。
1989年のことですので、没後18年ということになります。
カラヤンの死の半年後、小学校6年生の2月から私はクラシックを聴き始めたので、
もう18年近くも聴いていることになるんですね。


カラヤンは生前に600タイトルを超えるアルバムを録音しました。
そのレコード・CDを通じた販売枚数は1億枚を超えるそうです。
また、CDの規格(当時は74分・現在は80分超)は、
カラヤン「ベートーヴェンの第九が入るように」の一言で決まったといわれています。


そのカラヤンのラストレコーディングは、1989年4月にウィーン行われた
ウィーンフィルとのブルックナー交響曲第7番です。
ブルックナーが、この曲を作曲中に敬愛するワーグナーの訃報を聞き、
終結部にワーグナーを哀悼するコーダを加えた、哀しくも美しい第2楽章を持っています。
ただ、終楽章ではその死を乗り越えて生きていこうとする力強さもある曲です。


私は、カラヤンの命日には毎年この「ラストレコーディング」を聴いています。


カラヤンの晩年の演奏は、他の指揮者とは違う傾向があります。
カール・ベーム白鳥の歌であるベートーヴェン交響曲第9番も、
レナード・バーンスタインベートーヴェン交響曲第7番も、
テンポが遅くなり(それぞれ、最遅記録では?)、ダイナミックレンジが狭くなるという
「枯淡」の演奏です。
晩年のカラヤンの健康状態は芳しくなく、歩行も困難で
立っているのもやっとという状態から奏でられる演奏は、往年の緻密さは影を潜め、
テンポの動きも少なくなったものの、表現は濃厚で美しく、そして力強く、
次へ向かう気力を感じさせます。


当時のカラヤンは、自分に迫っている死に気がつかないほど、
気力を充実させていたのかもしれません。
哀しくも美しい第2楽章を演奏しているカラヤンを想像すると、そんな気持ちになります。
第7番にまつわる「ブルックナーとワーグナーの死」、そして「カラヤンとカラヤン自身の死」。
奇妙な偶然を感じざるを得ません。


単なる偶然の産物なのかもしれませんが、ラストレコーディングには、
その芸術家の人生が盛り込まれているような気がします。
また、人生をかけて到達した芸術の極みがそこにはあるのです。


芸術家の強い才能が長い年月をかけて醸成された「ラストレコーディング」、
熟成されたワインのような深い味わいがあります。



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(ながの)