自分が自分でなくなる不思議!?


こんにちは。
あと4日で2007年が終わりますね。
今日が仕事納めという方も多いのではないでしょうか?
皆さん、この一年間もおつかれさまでした!


さて今日は、英語に限らず外国語に関して日ごろ感じている
「不思議だな」「不便だな」についてお話したいと思います。


それは、外国語になると地名や人名の言い方が異なること。


大学で中国語を習ったとき、
私の漢字を中国語発音で読むと「ニャオウー(Niao wu)」になるのだと教わりました。
ですので、中国語で自己紹介するときには
「私はニャオウーです。」
と言わなければいけないのです。
…ぜんぜん自分の紹介をしている気がしませんでした。


自分の名前が変わってしまうなんて、なんだか変だと思いませんか?
一見「言語が違うのだからあたりまえ」とも思えるのですが、
自分の名前はどこでもそのとおり読まれるべきですよね。
だって、たとえば「裕子」という漢字で「ゆうこ」さんというお名前の方が、
「ひろこ」さんと呼ばれるのと同じですから。


…まぁそのあたりは私がこだわりすぎなのかもしれませんが。


不便だなと感じたこともあります。
たとえば、英語での会話の中で地名(特にヨーロッパの)を言いたかったとき。
日本での言い方をそのまま使っても通じない地名がいくつもあります。


私が苦しんだ例を挙げるとすれば・・・
フィレンツェ(Firenze)→フローレンス(Florence)
ウィーン(Wien)→ヴィエナ(Vienna)
※ウィーンはドイツ語だと「ヴィーン」と発音するみたいです。さらに厄介。


「どこどこに行ってきました」とか「どこどこに行く予定です」といった会話の中で、
何も知らずに「フィレンツェ」などと言ってしまい
理解してもらえなかった経験があります。


話が戻りますが、人名もやはりそうです。
大学の英語の授業で留学生と中国について話し合ったことがあるのですが、
毛沢東」について話したくて「Mohtakuto, Mohtakuto」と言っても通じず、
苦しみました。
英語では「マオヅドゥン(Mao Ze dong)」と言うんですよね。
これは、中国語発音をベースにした発音です。
漢字で覚えている日本人には覚えづらいですね。
(人名といえば、世界史を学びはじめて
カエサル」と「シーザー」が同一人物だとわかったときにもなかなかにびっくりしました。)


ただ、
地名や人名などの固有名詞は現地の発音に統一すれば便利なのになぁと思う反面、
こんな会話はちょっといやだなという気もします。


「お昼どうする?」
マッダノーズ(McDonald's)にしようよ。」


ううむ、やっぱりムリがありますか。皆さんはどう思います?


では、皆さんよいお年をお迎えください。来年もよろしくお願いいたします!



(とりや)