エドマンド・バーク


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大衆を擁護して声高に叫ぶ者が、
大衆の幸福をもっとも気遣っていると考えるのは、
よくある誤りである。

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彼の紹介はウィキペディアに譲りますね。


当選するために、キレイゴトばかり述べる政治家。
よくいますよね。
「え〜そんなことできんの?」という気持ちが湧く一方で、「ちょっと期待したいな…」という気持ちも湧いてしまうのが人間というもの。


一方で、今の国家財政の危機を訴え、国民にも一定の負担を強いることを述べる政治家。
「そうだよなあ…」という気持ちが湧く一方で、「やっぱりそんな負担は嫌だ!」という気持ちも湧いてしまうのも、これまた人間というもの。


甘い汁を吸いたい、という心情は起こってしまっても仕方ないと思うんですよ。
ただ、「自分が甘えた考えをしてるよなあ」という自分自身は認識すべきかと思います(実際問題として、ちょっと難しいことなんですが)。
ではないと、エドマンド・バークの危惧する「誤り」に巻き込まれてしまい、自分自身が不幸になるだけですから。


今の状態を冷静に分析し、耳に痛いことや目を背けたい事実を伝えた上で、改善する案を提示する政治家こそが、本当に求められる政治家ですよね。


さて。中高生の勉強面でのお話。
よくやる「誤り」が

  • 9割くらい解けて、たまに間違うけども解答を見ればすぐに分かる問題集に取組む。
  • 「勉強が順調に進んでいる」と錯覚する。
  • テストになると解けない。

この循環にはまってしまうことです。


確かに、実力と余りにもかけ離れた問題に取組むのは、「ヤル気」を阻害してしまう部分もあります。
「問題が解けること」は、勉強の「ヤル気」を促進し、机に向かう時間を長くしてくれるでしょう。
…しかし、この状況に甘えちゃいけないんですよね。


本当に実力がつく瞬間というのは、パッっと見「何書いてあるかわからない…」と思える問題集・参考書を何度か繰り返し読み、
「抵抗を感じる」→「抵抗がなくなる」
という状態に移ったときではないでしょうか。
抵抗を感じる勉強をするのはもちろん疲れますが、この疲れを避けてばかりではいけない、ということもわかっておいてほしいと思います。


同じ様なことが「テストの問題が難しい先生」に対する気持ちにも言えます。
良い点数をくれる先生は好きになり、悪い点数をつける先生は嫌いになる…
私だってそうでした(^^
でも、自分が「できていない」から悪い点をつけるのであって、「できていない」という自分に気づくキッカケを与えてくれたことには感謝すべきなんです。本来は。


いきなり「感謝」の気持ちが湧くのはなかなか難しいでしょうが、少なくとも「悪い点数のテストは復習しないっ!」という自分からは早い段階で卒業しておきましょうね。