パルティオゼット


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悪者が正論を「きれいごと」と称すのは、
自分たちにとって正しいことではなく、
また自分たちにとって都合がたいへん悪いことばかりだから
忌んでそう称すのだと思います。

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パルティオゼットのコミュニティにあった投稿を引用しました。
高校生、大学生…そして社会人の方はビックリされるかもしれませんが、中3生の発言ですよ。これ。
自社のサイトのことを持ち上げるのも恐縮ですが、本当に素敵な参加者に囲まれて、サイトが成長していると感じます。
※今日は他の「一言」を紹介しようと思っていたのですが、心が急遽「差し替え」に動いたほどです。


思い出します、自分の反抗期(中学生のときがピークかな)を。
ヤケにキラキラ「正しいこと」を話し、実行に移す女子がいました。
「なんかやなかんじぃー」という、そんな気持ちが、「けっ、きれいごとだよな」という発言に続けていたような気がします。


多感な10代、そんな気持ちになる自分自身は「仕方なかったかな」と思う部分もあります。
しかし、そんな反抗期の気持ちをそのままひきずり、「きれいごと」を実行しないでいることは、生産性の高い行動とは思えません。
「きれいごと」は正しく、本来は社会を豊かにする行為のはずで、それが余りにも眩しく、自分にはとてもできる行為じゃない…と思う気持ちから、自分を守るために(=自己を否定されないために)忌み嫌うようなムードを作ろう、と、ヨコシマな人が無意識に考えるわけで。
反抗期の自分がそうであったように。。。


堂々ときれいごとを語りましょうよ。
みなさん。


きれいごとを語ることと同じ様に、なぜか人が避けてしまうことに
「夢を語ること」
があります。
しかし…「青臭い」とか「こっぱずかしい」という感情だけで避けてしまうのは、自分の可能性を縮めるだけで、損こそすれ得することが余りないような気がします。


夢が見つからない、という状況はありえるでしょう。
しかし、「こうなりたい」「こういうことをしてみたい」があるのに、それを意識の下部に押し込めるようなことは止めましょうね。
成功している人はつねに、手帳に、壁紙に、無謀とも思える夢を書き、そして毎日口づさんでいるっていいますから。


えっ?私の夢ですか??
以前は見つからない時期もあり、口にするのは恥ずかしい時期もありましたが、今は堂々と言っています。


「賢く、誠実な人間を一人でも多く生み出せるように、若い人たちを育んでいきたい」


それがきっと世の中をよくし、巡り巡って自分のためになると思っていますから。