「学び」の題材と受け止めると…


世間を騒がせていますね、未履修問題
騒動に巻き込まれている受験生の皆さんには、本当に、本当に、「大人社会がしてきたことの被害者にしてしまい、ごめんね」という気持ちが湧き起こります。
そんな中、あくまで、ブログ担当の私(寺西)が「Z会という一教育産業の社員として思うこと、できること」という立場で、今日のブログはしたためてみます。


Z会は教育産業ではありますが、政策を立案する立場ではありませんし、公教育の現場もつぶさに見ているわけではありません。
ですので、「〜すべきだった」という物言いや、間違っても「〜が悪い」「〜のせいだ」という責め立てはしてはいけない、できない、そう思っています。


あくまでZ会は、「学ぶ人を応援する」そんな存在です。
であれば、今回の事件を見つめて、「欠けがちになる視点」、それを私なりに提供できれば、と考えました。
そして、2点ほど、「今学んでいる」皆さんに考えてほしいことがあります。


1つ目。(Z会の提供するSNS「パルティオゼット」でも似たようなことを書きました。そちらでもご覧頂いている方は、2度目になってすいません)
新聞の社説などでは「高校が受験対策に走った結果」と書かれています。
必修教科を受験対策のための教科に当てた方が「受験に有利」と言う論理が裏にはあります(もちろんですが)。


しかし…受験を経験し、大人社会を経験し思うのは「受験を優先させて指導要領を守らず、受験教科にシフトした対策をやる」ことで、果たして生徒の受験実績は(長期的に見て)あがるのだろうか、ということです。
短期的には上がるときもあるでしょうし、メリットを受ける高校生もいるでしょうが、現実ではメリットばかりともいえないと感じるんです。
たとえば

  • A高校理系では、指導要領を守り、数学の受験対策もするため、3年間で16コマ(=3年間で学習する理系の数学標準単位数)を設けながら、1コマで進むスピードを他高校より速くし、実質的には2年間11コマ(標準進度)でほぼすべての教科書の内容を終えて、3年目5コマは受験対策に専念。
  • B高校理系では、数学の受験対策をするため、3年間で30コマ(←ちょっと極端ですが)を設け、最初の2年間20コマでほぼすべての教科書の内容を終えて、3年目10コマは受験対策に専念。


「東大入試」に絞って考えると、結果はA高校の方が実績を残すような気がします。
つまり「コマ単位で見た理解スピード(=理解力)」が速いように培われた人間の方が、実力そのものが上になることも多いんではないかな、ということなんです。
もちろん、反面、スピードの速い授業は落伍者も出ますので、一長一短ですが、「必修授業をカットして予備校的対策を行った」ことで、有利になることは(全体を俯瞰すると)ほとんどないと感じています。
※「予備校」は「自ら学びに行く」わけですが、学校は「教わる環境が与えられる」という性格で、学ぶ方の甘えを生む、ということも考慮すると、なおさら。


個々人の事象に落として考えると…
「“教えられる”という状況が与えられないと勉強ができない、しない高校生」であれば、上記B高校で学ぶことの方が「受験に有利」に作用する場合も多いでしょう。
逆に見ると、上記B高校で学んだがゆえに、必修単位の芸術が疎かになって、芸術系大学に進学するのが難しくなる生徒もでるでしょう。
このような議論もできますが、これはあくまで個々のレベルでの話です。


私事を話しますと、自分は理数科出身です。
理数科の指導要領は普通科とは異なり、「物理」「化学」「生物」「地学」が「必修」なんです。
生物は高1、2の2年間で5コマ、地学は高1の4コマ。受験に必要・不要という視点で見ると、「不要な時間が多い」カリキュラムになっていました。(そして当然、東大志望の私もブーたれてました。笑)


しかし、クラス41名、東大・京大に限ってみれば、東大2名、京大6名(7名だったかも…)全員現役合格できました。
※平年の平均的東大・京大合格者数の全校合計がこれくらい、という地方の公立高校とお考え下さい。
物理は最後の単元を駆け足で(理科4科目なんで、どうしても2年から始めた物理の進行が遅くなってしまった)、日本史は近代の終わり〜現代史を「教科書読んでおいてね」レベルでセンターに突入、国語なんて文学者チックな先生で、そもそも受験に関係する国語の勉強なんてやったかな?程度。
また、団塊世代Jr.ですから、一番「受験戦争」が激しく、いわゆる「三大予備校」が急激な成長を続けている時代。。。
でも、いわゆる「難関大学進学実績」という尺度で見れば、ものすごく高いクラスになっちゃいました。


そんな自分のクラスを振り返ってみると…制約条件があったからこそ、「じゃあ自分で道を切り開かなければ」という気持ちが自然と各人に芽生えていたのは事実なんです。


「いろいろ与えられる」環境の中で「最大限のパフォーマンス」を出す方が、最も効果があるでしょうが、人間心理と言うものはそこまでうまく作用しないと思います。
なので、一度、


「受験対策のために、必修授業を振り替えてまで授業数をあてるのは、本当に受験に有利に作用するのか?」


それを考えてみてほしいと思います。


2つ目。
実はこれは、とあるインターネットのコミュニティでいろんな議論を交わしているときに、他の方から頂いた意見で、恥ずかしながら私も「はっ」とした意見なんです。


「今から世界史補習されるなんて信じられない」


未履修の方からはそんな悲鳴が聞こえますし、私も高校生であれば同じように感じていたかと思います。


しかし…「受験」という近視眼的な目を、ちょっと脇に追いやると…
「教えられる権利が執行される」
これって幸せなことなんですよね。


諸外国では、このような事件が発覚すると、「何で教えてくれなかったんだ!必ず教えろ!」そんな声が生徒から上がることもあるそうですね。
「学ぶ機会を奪われて迷惑。ちゃんと保証しろ!」
そういうことなんです。


受験と言う目的があります。
今から世界史をやる「実質的に感じる辛さ」もわかります。
けど、ちょっとだけでいいから、考えてみてほしいんです。


「教えられる環境が与えられているのは、それだけで恵まれているんだよ」


そう思うと、授業の1つ1つ、少しでも集中して聞けるようになるのではないでしょうか。


そう願っています。