オザワ渾身の「幻想」


もう、1ヵ月も前の話になりますが、9月8日(日)松本の長野県松本文化会館にて、
小澤征爾指揮/サイトウ・キネン・オーケストラの公演を聴いてきました。
メインはベルリオーズ幻想交響曲。言わずと知れた名曲です。


フランスものを得意とする小澤には珍しく、レコーディングではあまり取り上げていませんでした。昨年のショスタコーヴィチ交響曲第5番に続き、小澤のレコーディングキャリアでは珍しいレパートリーが続いています。


いつものように休憩でワインサービスを楽しみつつ、いよいよメイン。
冒頭から確信に満ち溢れ、意図のはっきりとした音が流れだします。
奏者と指揮者の「出したい音」が明確なんだと思います。


しっかりと腰の据わったテンポで、オーケストラを鳴らし切りながら随所で鋭く切り込んでいく、「しなやかな音の洪水」のようです。


第1楽章だけで、大喝采に値するドラマが表現されていました。「これはすごい演奏になるね」と、楽章間で一緒に行った弟と話したほどです。遅いテンポで遊び心のある第2楽章、速いテンポでしなやかな美しさの第3楽章(これは小澤の魅力だと思います)、金管を咆哮させながらも、音楽としての品格を崩さなかった第4楽章、そして、完全にオーケストラを鳴らしきった圧倒的な第5楽章。


昨年、小澤は病気で活動を一時休止していました。
バーンスタインは、今の小澤の年齢で他界しています。
次に小澤の幻想を聴ける日は、もしかしたら来ないかもしれません。


小澤も同じ。次に幻想を演奏できる日は、来ないかもしれません。


そんな心境が、あいまいな所が一切ない、渾身の演奏を生んだのだと思います。


そして、私もそんな演奏に、思わず涙してしまいました。
会場はブラヴォーと盛大な拍手がフルオーケストラのように鳴り響いていました。


ロストロポーヴィチに遠慮して録音してこなかった」と言われていたショスタコーヴィチ交響曲第5番を、昨年の復活の際に取り上げたのも、小澤の変化のあらわれなのでは、と感じています(この演奏はCD化されています)。


病を克服して人は変わるのかもしれません。
カラヤンも1976年頃に活動を休止し、その前後で、音楽は大きく変わっています。
興味のある方は1971年のEMI盤と1977年頃(または1984年頃)のグラモフォン盤のチャイコフスキーの後期交響曲(4番〜6番)を聴き比べてみてください。根本のアプローチはほぼ同じなのですが、演奏から受ける印象は、全く異なります。


人間の成長に、年齢制限はないようです。



(ながの)